専門の物理や数学の授業にかち合わないように担当の授業を決めてもらえた日本語科のTA(ティーチングアシスタント)の仕事は楽しくて時間の経つのも忘れるます。2学期も過ぎた頃のことでした。一通の手紙が日本の仙台から届きました。宛名にはワシントン大学Professor シモヤマと書いてありました。若い女性からの手紙でした。「仙台の河北新報で先生のワシントン大学でのご活躍を知りました」で始まる文でどうやってアメリカに渡りそのような職を得たのか教えてほしいと言うものでした。彼女もアメリカ留学の夢を持っているのが良く分かる内容でした。
そう言えばそれより一ヶ月ほど前に日本の新聞社の記者が私の授業を見学しに教室に入ってきて写真を撮っていったのを思い出しました。それが河北新報に載ったらしいのです。私が驚いたのはワシントン大学Professor シモヤマで手紙が来たということです。アメリカの大学ではファカルティーの中では教授(Professor),準教授、助教授、講師、等々があって最後にTAですから名前にProfessorをつけられて届いた手紙には当惑しました。 同僚の教職員に対してばつが悪い思いです。でも良く考えてみれば片田舎の女の子がアメリカの大学で教鞭をとっている人間に手紙を出すとすれば敬称としてプロフェッサーしか思い当たらないのは分かるような気がします。
手紙をくれた仙台の彼女には丁重な手紙を書きいろいろと留学の参考になることを知らせましたが、それっきり彼女からは何の連絡もありませんでした。
私がこの様にマスコミ(?)に取り上げられたことは他にもありました。大学の直ぐ脇からワシントン湖の対岸に住む私のホストファミリーの家の直ぐ傍まで新しいフローティングブリッジ(浮橋)が建設された時「新しい橋の恩恵を受け喜ぶ留学生」とのタイトルで私のことが写真入で地方紙の社会面に大きく出たことや、ワシントン大学を留学先に選んだ理由についてラジオ局からインタビューを受けたこともありました。日本にいてはなかなか体験できないことが起こるものです。
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