2010年5月29日土曜日

2. 留学への準備(1)

試練の準備期間-留学への歩み(少々堅い話なので読み飛ばしていただいて結構です)

ここでどうしてシアトルのワシントン大学に留学することになったかについてちょっと触れておきたいと思います。
ハイゼンベルクの不確定性原理(Uncertainty Principle)は私の人生観、そして進路に大なる影響を与えた原理です。 アインシュタインが亡くなったとき高校の数学の教師が不確定性原理の話をしたのです(何故相対性理論の話ではなく不確定性原理の話になったのかは未だによく分かりません)。 それまで機械論的な宇宙観に偏っていた私は目が覚める思いがしたのです。 アインシュタインは「神はサイコロを振り給わず」と主張し続けたと言われていますが量子論には「シュレーディンガーの猫」や「多世界解釈」とかSFのような話題が多く面白いですね。 日本では早稲田大学の理工学部機械科に入ったのですが機械科の勉強もそこそこに量子学を勉強すべく大学の図書館で理論物理の本ばかりを読んでいて授業にはほとんど出ませんでした。 4年でなんとか機械科を卒業出来たのですが実際のところ授業に出たのは2学年目と卒論を真面目にやった4学年目ぐらいです。 3学年の時には13科目の専門科目全部「不可」という素晴らしい(?)成績でした。そんな頃久しぶりにクラスに出ると隣に座った同級生から「途中から編入した方は大変ですね」と言われました。 編入生でない私の顔を3年間教室でほとんど見たことがなかったからでしょう。
量子論を勉強したいと言う願望と同時に、私には幼い頃からアメリカに行ってみたいと言う夢がありました。そんなわけで量子力学を勉強しにアメリカの大学に留学しようという考えが固まってきたのでした。

ところが留学の準備を進めるうちに大変なことがわかってきました。まず、留学の費用をどうするかです。当時の為替レートは1ドル360円で大学卒の初任給が1万2-3千円の時代です。親父の月給も6万円弱だったと記憶しています。最初の半年分ぐらいの学費は親にせびれても長期間は無理です。そこでスポンサー探しから始めました。まず、YWCAで英文タイプを習い中古のRemingtonポータブルタイプライターを1万2千円で購入し、アメリカでスポンサーになってくれるかもしれないと思われる諸々の研究所とか協会に手紙を出しまくったのです。滞在費だけでも出してくれるところがあれば助かると思ったのでした。アメリカと言う国はすごいと思いました。出した手紙にはすべて丁重な返事が来たのです。但し、招待してあげようと言うものはひとつもなくすべての返事は「貴君の熱意には敬意を表するが同じ研究は日本のどこそこの研究所(又は大学)でやっているのでそこを紹介しよう」というものでした。研究テーマそのものを学びたかったのではなくて渡航費を出してくれるところを探したかったのでこれではまったく目的にかないません。フルブライト奨学金などは成績優秀でないとだめだし、こうなると私費留学を考えなければなりません。

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