2010年5月29日土曜日

3. 留学への準備(2)

そうこうしているうちに早稲田を卒業する同じ年の秋からの留学はタイミング的に難しいことがわかりました。「俺も一緒に留学するよ」と言っていた学友達も就職試験が一段落した頃気がつくと皆一流企業に就職が決まっていました。結局どこの会社も受けなかったのは私一人だったのです。他人を当てにしてはだめだ、よし、何がなんでも一人で留学して見せるぞと心に決めたのはこの時でした。留学を一年間先に延ばしてその間出来るだけの準備をしておこうと思いました。英会話をしっかり勉強しておかねばなりません。英語はどちらかと言えば得意科目でしたのでボキャブラリーには可なり自信があったのですが無口がわずらいして会話が苦手でした。そこで複数の英会話学校を掛け持ちしたり、ジャパンタイムズで英会話教えますとの広告を出していたいろいろな外人に教えを請いに行きました。ワシントンハイツの米軍将校夫人とか、フィリピン大使館の領事の奥さんとかイギリスから来た風来坊の青年とか米国の牧師さんとか手当たり次第に習いに行ったり親しくなって一緒に旅行したりして会話力をつけてゆきました。又、ユースホステルの2・3の英語クラブにも参加しました。そこで知り合った友人が新しい英会話のクラブを設立する時にも協力し外人ハントの会なども催しました。

私費留学のためにはまず科学技術庁の試験にパスしなければなりませんでした。その試験は心配したほど難しくなくパス出来たのですが問題は留学先の大学を決めなくてはなりません。自分としては理論物理の分野で有名だったプリンストン大学、パーデュー大学、コロンビア大学とかいったところに行きたかったのですが入学要綱を取り寄せてみるとほとんどの大学が私費留学の場合米国内に保証人が居ることを受け入れの条件としていることが分かりました。日本では顔の広かった親父もアメリカには一人の知り合いもいませんでした。十数校手紙を出しておいたのですが保証人なしで受け入れてくれる大学はシアトルのワシントン大学1校でした。これで留学先の大学は決まりです。次なる問題は入学許可を取ることです。要求されたものは早稲田の成績表、担任教授の推薦状、信頼できる機関による英語力認定書、そして日本の保証人である父親の1,400ドル以上の銀行口座残高証明書でした。英文の残高証明書は銀行が用意してくれましたし、英語力認定書は会話学校の米国人教師が快く作ってくれました。問題は大学の成績証明書と教授の推薦状でした。

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