ワシントン大学から入学許可の書類が届いたのはそれから間も無くの事でした。最後に解決しなければならなかったのは渡航費です。飛行機代は当時の金で30万円以上していましたからとても工面できる額ではありません。いろいろ悩んでいる時叔父が貨物船で行ったらどうだと言いました。仕事の関係で知っている船舶会社に頼んでアメリカ行きの貨客船(貨物船だが少人数の客も乗せられる船)に乗船できるよう頼んでやろうと言うのです。これで決まりです。船賃の9万円は大学時代家庭教師でためたお金で買っていたポンコツ車が5万円で売れましたので差額を親に出してもらうことで解決です。但し渡航手続きは旅行会社に頼むとお金がかかるので親友の先輩が勤めていた旅行会社に出向き自分で書類を作りたいと言うとその先輩は「こんなの自分で作る人などいないぞ」と言いながらも私の熱意に押されて丁寧に書類作成を手伝ってくれたのでした。
留学を一年先延ばしにしたおかげで大分時間に余裕が出来ました。英会話だけではもったいないので早稲田大学に入る前から手がけていたフランス語とドイツ語の会話にも力を入れ毎日フランス語とドイツ語で日記をつけ将来に備えました。私はアメリカで勉強した後はフランスとドイツに渡りそれぞれの言葉を勉強したいと思っていたのです。高校時代に英語の恩師からEtymology(語源学)の面白さを教わり毎日のようにWilliam SkeatのEtymological English Dictionaryで学校で習った英単語の語源を調べるのに時を忘れるほど熱中していたので自然と多くの言語に興味を持つようになっていたのです。大学受験でも理科系に進むか外語大にするかずいぶんと迷ったものです。ここで一見アメリカ留学に関係ないように思われる第二外国語の話をしたのはこれらの外国語がアメリカに渡ってから思わぬところで大変役に立ったからです。
話は変わりますが当時留学を考えるのに参考になった書籍が3冊ありました。 犬養道子の「お嬢さん放浪記」(1958)、ミッキー安川の「ふうらい坊留学記」(1960)、そして小田実の「なんでも見てやろう」(1961)です。中でもミッキー安川の「ふうらい坊留学記」には大変勇気付けられました。なぜなら私と同じように一人の知り合いもいないアメリカに単身乗り込みいろいろなアルバイトをして頑張った話だったからです。アメリカに渡ったのもこんな背景があったのですが最終的には挫折し理論物理の勉強を諦め数値解析を学び帰国後はコンピューター分野に身を投ずることになったのでした。それでも若いころの夢は忘れがたく今でも事あるごとに物理の解説書を読みあさっています。 留学した当時はクォークが話題の時代でしたが最近では超ひも理論(Super String Theory)の時代になっています。 超ひも理論で大統一理論が完成に近づきつつあるようで興味津々ですが10次元の話なので私の頭では理解するのが難しいようです。 こういった現実離れした話に没頭していると膨張を続ける大宇宙そして150億年もの時空の中にあって我々の存在は小さな小さな点にもならないような気がしてきます。 この小さな小さな人生を如何に悔いなく全うするかを考える今日この頃です。
さて、長ったらしい前置きはこの辺にしていよいよ横浜港から青春の船出をするところからお話を始めましょう。
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