スタッグ・パーティー(バッチェラー パーティーとも言う)とはもうすぐ花婿になる人とその男友達だけが集まり独身生活を惜しんで羽目をはずすパーティーです。私にプライス家のハウスボーイを譲ってくれたM先輩も結婚を控えてスタッグ・パーティーを開きました。勿論、最初は飲み会から始まりますが宴もたけなわとなるとブルーフィルムの上映が始まります。
ブルーフィルムとはポルノ映画であり今で言えばAVビデオにあたります。当時はビデオなど無く映写機で写す8ミリ映画をブルーフィルムと呼んでいました。私はブルーフィルムなる言葉は知っていましたが一度も見たことはありませんでした。部屋の壁に写された映像は白黒で決して鮮明なものではありませんでしたが生まれて初めて見るブルーフィルムの画像は今でも鮮明に覚えています。何でも警察から回ってきたものだと言うことでした。警察が押収したポルノは凄いのが多いよとは弁護士をやっていた義兄がよく言っていましたがなるほどと思って感心したものです。
スタッグ・パーティーは結婚式でベストマン(新郎の世話人代表)をする人が手配することになっているそうですが後に親友のベストマンをやることになった私にはそんなブルーフィルムを手配することは出来ませんでした。
スタッグ・パーティーがあって暫くするとM先輩の結婚式に招かれました。教会での厳かな式が終わると新郎新婦は車に乗って会場を後にします。その車にはアメリカ映画でよく見るように幾つもの空き缶が紐で繋がれ車が動き出すと引っ張られていてがらんごろんと音を立てるのでした。これを見た時、ああ、アメリカだなと思ったものです。
2010年7月29日木曜日
2010年7月28日水曜日
50.プライス家とカルチャーショックの数々
プライス家には夫人の90過ぎの母君が同居していました。又、この母君の世話をする可なり歳のいった介護師の女性とノルウェイから来ていた賄い担当のクリスティーおばさんが一緒に住んでいました。クリスティーは太っていて動作が鈍く話し方も小声でもぞもぞ話すので言っていることが良く理解できませんでしたが人柄は良く、時々私にカレーを作ってくれました。一階の正面玄関を入るとアメリカ映画でよく見るような立派な階段が二階へと続いていました。その手すりにはレールがついていてレールのうえの椅子にプライス夫人の母君が座るとスルスルスルと電気仕掛けで二階まで登って行くのには驚きました。自動車のガレージもプライス夫人の帰ってくる自動車が見えないうちからシャッターがひとりでに開いていくのに驚いたものです。でもプライス家で受けた本当のショックはこんなものではありませんでした。
プライス家に入った日、私は食堂でミセス・プライスによって他の従業員達に紹介されました。その席上でのことでした。私の面前で夫人は食堂の数ある食器棚の一つ一つに鍵をかけていったのです。それぞれの棚には高価な食器類がおさめられていたのです。私の受けたショックは大変なものでした。その行為が私に対する親切心からであると言うことが解るには可なりの時間が必要でした。しばらくして、知り合いの老婦人に教会に連れていかれたときです。教会近くに車を止め車のドアを閉めた時です。同伴していたその老婦人が私に向かって「外から見えるところに手荷物を置いてはいけません。それはsinです。(crimeではありません)」と言って私を咎めたのです。要するに他人に盗みを唆すような環境を作ることは罪であると言うことなのです。完全に性悪説に基づく理論です。盗みを思い起こさせないようにするのが親切心なのです。プライス夫人のとった行為もやっと納得できました。後にフランスで止めておいた車から大事な荷物を盗まれた時、警察で見えるところに置いとけば盗まれるのがあたりまえだと言われ、どちらかと言えば性善説にたつ日本との違いを思い知らされたことがあります。
ついでに私がアメリカで受けた他のショックの話もいたしましょう。それは人の行為に直ぐ金を払おうとすることでした。最初の下宿に居た時でした。宿のオーナーのジェイコブスンおばあさんに壁の額縁を留めていた釘が取れたので新しい釘を打ってくれと頼まれました。釘と金槌を手渡されたので直ぐ新しい釘を壁に打ち付けました。1分も掛かっていません。するとジェイコブスンさんは私にさっと二ドルを手渡したのです。親切心でやった行為にお金を渡されたら侮辱された気持ちになります。勤労奉仕が美徳と教わって育った私は特にそう感じたのかもしれませんが、私は非常に情けない気分になったのです。只、半年ぐらいたった冬のある日、水道管が破裂して困っている家の前を通りかかり、車を止めて手持ちの材料で緊急処置をしてあげたとき差し出された5ドルは素直に受け取れる自分になっていたのでした。
プライス家に入った日、私は食堂でミセス・プライスによって他の従業員達に紹介されました。その席上でのことでした。私の面前で夫人は食堂の数ある食器棚の一つ一つに鍵をかけていったのです。それぞれの棚には高価な食器類がおさめられていたのです。私の受けたショックは大変なものでした。その行為が私に対する親切心からであると言うことが解るには可なりの時間が必要でした。しばらくして、知り合いの老婦人に教会に連れていかれたときです。教会近くに車を止め車のドアを閉めた時です。同伴していたその老婦人が私に向かって「外から見えるところに手荷物を置いてはいけません。それはsinです。(crimeではありません)」と言って私を咎めたのです。要するに他人に盗みを唆すような環境を作ることは罪であると言うことなのです。完全に性悪説に基づく理論です。盗みを思い起こさせないようにするのが親切心なのです。プライス夫人のとった行為もやっと納得できました。後にフランスで止めておいた車から大事な荷物を盗まれた時、警察で見えるところに置いとけば盗まれるのがあたりまえだと言われ、どちらかと言えば性善説にたつ日本との違いを思い知らされたことがあります。
ついでに私がアメリカで受けた他のショックの話もいたしましょう。それは人の行為に直ぐ金を払おうとすることでした。最初の下宿に居た時でした。宿のオーナーのジェイコブスンおばあさんに壁の額縁を留めていた釘が取れたので新しい釘を打ってくれと頼まれました。釘と金槌を手渡されたので直ぐ新しい釘を壁に打ち付けました。1分も掛かっていません。するとジェイコブスンさんは私にさっと二ドルを手渡したのです。親切心でやった行為にお金を渡されたら侮辱された気持ちになります。勤労奉仕が美徳と教わって育った私は特にそう感じたのかもしれませんが、私は非常に情けない気分になったのです。只、半年ぐらいたった冬のある日、水道管が破裂して困っている家の前を通りかかり、車を止めて手持ちの材料で緊急処置をしてあげたとき差し出された5ドルは素直に受け取れる自分になっていたのでした。
2010年7月27日火曜日
49.リチャードソン邸を辞してプライス家に移る
秋学期が始まって間もない頃、やはりハウスボーイをしていた大先輩のMさんから「僕のやっているハウスボーイを引き継いでくれないか」と打診されました。Mさんは結婚することになったのでハウスボーイを続けるわけには行かなくなり誰か後釜を探していると言うのでした。良く話しを聞くと悪い話ではありません。給金は月30ドルでリチャードソン邸の50ドルより少ないのですが仕事の量が俄然少ないのです。一週間に一度一台の乗用車を洗うのと土曜日に玄関前の前庭の落ち葉掃除、そして夕食時の食卓のセティング(ドイリーをひき、ナイフ、フォーク、スプーンを並べるだけ)そして来客がある時だけ白い給仕服を着て蝶ネクタイをつけ給仕をするというものでした。
「Roll over!」と言うとくるっと短足胴長の体を横に一回転させる可愛いダックスフントが飼われていましたが、犬の世話はしなくて良いことになっていました。どう計算しても一週間に仕事に取られる時間は3時間ほどしかありません。こんなうまい話はありません。奨学金のおかげで学費は掛からないし、バイトのおかげでお金も少々貯められる状態になっていましたから私がほしかったのは自分の自由になる時間でした。リチャードソン邸では好きなビールも一ヶ月に350mlの缶ビール一個しか許されていませんでしたから大分ストレスも溜まっていました。
リチャードソン夫人に話すと「後釜が見つかるまで居てくれるならいいわ」と言ってくれました。運良く留学生支援事務所の世話でハウスボーイを希望していると言うタイからの留学生が直ぐに見つかりました。話はとんとん拍子に進み間もなくして私は思い出深いリチャードソン家からプライス家へと居を移したのです。
商業銀行の創始者だったご主人を無くなした未亡人のミセス・プライスが新しい家の主人でした。プライス夫人は背筋のぴんとした英国の貴族を思わせるような気品のある女性でした。家は二階建てで横長であり中央の玄関は前庭を隔てて「Broadway」という公道に面していました。裏に回ると斜面で土地が低くなっており地下室が一階の様になっていました。私が与えられたのはこの地下室(裏に回れば一階)でしたが表の正規の玄関を使わずに済んだので自由に出入り出来、ハウスボーイをしているような感じはしませんでした。門限も無かったので友達と夜遅くまで飲みに出ることも自由になりました。
「Roll over!」と言うとくるっと短足胴長の体を横に一回転させる可愛いダックスフントが飼われていましたが、犬の世話はしなくて良いことになっていました。どう計算しても一週間に仕事に取られる時間は3時間ほどしかありません。こんなうまい話はありません。奨学金のおかげで学費は掛からないし、バイトのおかげでお金も少々貯められる状態になっていましたから私がほしかったのは自分の自由になる時間でした。リチャードソン邸では好きなビールも一ヶ月に350mlの缶ビール一個しか許されていませんでしたから大分ストレスも溜まっていました。
リチャードソン夫人に話すと「後釜が見つかるまで居てくれるならいいわ」と言ってくれました。運良く留学生支援事務所の世話でハウスボーイを希望していると言うタイからの留学生が直ぐに見つかりました。話はとんとん拍子に進み間もなくして私は思い出深いリチャードソン家からプライス家へと居を移したのです。
商業銀行の創始者だったご主人を無くなした未亡人のミセス・プライスが新しい家の主人でした。プライス夫人は背筋のぴんとした英国の貴族を思わせるような気品のある女性でした。家は二階建てで横長であり中央の玄関は前庭を隔てて「Broadway」という公道に面していました。裏に回ると斜面で土地が低くなっており地下室が一階の様になっていました。私が与えられたのはこの地下室(裏に回れば一階)でしたが表の正規の玄関を使わずに済んだので自由に出入り出来、ハウスボーイをしているような感じはしませんでした。門限も無かったので友達と夜遅くまで飲みに出ることも自由になりました。
2010年7月23日金曜日
48.愛犬トップスとのお別れ
歳をとっていたトップスは段々家の中で粗相をするようになってきました。ところ構わず臭い大便をするのです。しかも一回にする量が多く数箇所に大きいのをたらします。その処理はすべてハウスボーイの私がやることになります。まず盛り上がった糞の塊を取り払い、絨毯についた跡を洗剤で洗い落として臭いけしをかけるのです。問題はそれが私の仕事の時間外に起こることが多いと言うことです。試験前の夜にでも当たったら落ち着いて勉強も出来ません。
トップスは糞だけでなく良く臭い「おなら」もするようになっていました。ある日トップスがおならをした時、私はたまたま近くにいたリチャードソン夫人に「Tops farted!」と告げました。夫人は「今何と言った?」と言うので「Farted」と言うと「その言葉は何処で覚えたの?」と訊ねられました。正直に日本にいたとき辞書で覚えたのだと言うと、それならしょうがないわねと言う顔をして夫人が説明してくれました。「fart」は卑しい言葉で人前で使ってはいけない。言うなら「break wind」と言いなさいと。「break wind」がおならをするという表現なら「fart」は屁をひると言う言い方で一種のfour-letter wordであることを知ったのはトップスのおかげと思っています。
それから間もないある日のこと大学から戻ってくるとトップスの姿が見当たりません。何処へ行ったのかと思ってリチャードソン夫人に尋ねると「トップスはもういません。今日獣医さんのところで注射をうってもらって安楽死させました」と教えてくれました。私が粗相の始末をいやな顔をしてやっていたのでこうなってしまったのかと思うとたまらない気持ちになりました。
その次の日、大学から戻ってくるとリチャードソン夫人の足元をグレイ色の小さなプードルが走り回っていました。この犬の名前は覚えていないのです。なぜなら名前を覚える間もなく私自身がリチャードソン家から去ることになったからです。
トップスは糞だけでなく良く臭い「おなら」もするようになっていました。ある日トップスがおならをした時、私はたまたま近くにいたリチャードソン夫人に「Tops farted!」と告げました。夫人は「今何と言った?」と言うので「Farted」と言うと「その言葉は何処で覚えたの?」と訊ねられました。正直に日本にいたとき辞書で覚えたのだと言うと、それならしょうがないわねと言う顔をして夫人が説明してくれました。「fart」は卑しい言葉で人前で使ってはいけない。言うなら「break wind」と言いなさいと。「break wind」がおならをするという表現なら「fart」は屁をひると言う言い方で一種のfour-letter wordであることを知ったのはトップスのおかげと思っています。
それから間もないある日のこと大学から戻ってくるとトップスの姿が見当たりません。何処へ行ったのかと思ってリチャードソン夫人に尋ねると「トップスはもういません。今日獣医さんのところで注射をうってもらって安楽死させました」と教えてくれました。私が粗相の始末をいやな顔をしてやっていたのでこうなってしまったのかと思うとたまらない気持ちになりました。
その次の日、大学から戻ってくるとリチャードソン夫人の足元をグレイ色の小さなプードルが走り回っていました。この犬の名前は覚えていないのです。なぜなら名前を覚える間もなく私自身がリチャードソン家から去ることになったからです。
47.時々私を困らせたリチャードソン夫人
ある土曜日のこと、いつもの様に私は一階のロビーから絨毯の掃除機がけを始めました。そこへリチャードソン夫人が上の階から降りてきました。時々私の掃除ぶりをチェックするのです。ところがこの時はチェックではありませんでした。夫人はロビーにあった数個のクラシックな椅子の一つを指差し「ちょっとこの椅子の足を見てごらんなさい。接いだ後があるでしょ。」指差された椅子の足を見ると確かに継いだ痕が見えます。「私が思うにヤス(私の前任者)が私の留守中にこの部屋で柔道の練習をしていて誤ってこの椅子にぶつかり椅子の足が折れてしまい、慌てて強力接着剤でつなぎ合わせたのよ」と言って私に同意を求めたのです。確かにヤスさんは柔道黒帯でしたがそんなことするとは思えません。私が最後まで頷かなかったのでその時はそれで終わりましたが、下手すると私も何かあらぬことで疑われているかもしれないと思うと落ち着いていられませんでした。
又、ある日のことスーパーマーケットで買い物をして帰って来たリチャードソン夫人があわてて私を呼びました。何事かと思って飛んでゆくと「スパーマーケットで35セント余分に払ってきてしまったのに気がついた。私のキャデラックを使っていいから35セント取り返してきて」と言うのでした。キャデラックで行けばガソリン代だけでも35セント以上は掛かるはずです。私が夫人の金銭感覚が良く理解できずに躊躇していると「ついでにrisqué(リスケイ)thing を買ってきて」と言ったのです。私はrisquéという単語を知りませんでしたのでriskyと思ってどんな危険なものかと訝っていましたが夫人の説明を聞いているうちにrisqué thingとは「大人のおもちゃ」のことであるとわかりました。パーティで贈り物に使うのだそうです。いずれにせよあまり引き受けたくない仕事でした。
時には親切心から私を困らせることもありました。何の機会だったか忘れましたが夫人が大きな白身魚を買ってきて夕食時に私のために炒めて出してくれたのです。日本人は肉より魚が好きであると決めてかかっていたのです。私は魚が好きではありませんでした。しかも味が無い大柄の白身魚など食べられたものではありません。しかし、親切心から夫人がわざわざ作ってくれた料理を食べないわけには行きません。私にとっては苦痛の魚料理でした。
又、ある日のことスーパーマーケットで買い物をして帰って来たリチャードソン夫人があわてて私を呼びました。何事かと思って飛んでゆくと「スパーマーケットで35セント余分に払ってきてしまったのに気がついた。私のキャデラックを使っていいから35セント取り返してきて」と言うのでした。キャデラックで行けばガソリン代だけでも35セント以上は掛かるはずです。私が夫人の金銭感覚が良く理解できずに躊躇していると「ついでにrisqué(リスケイ)thing を買ってきて」と言ったのです。私はrisquéという単語を知りませんでしたのでriskyと思ってどんな危険なものかと訝っていましたが夫人の説明を聞いているうちにrisqué thingとは「大人のおもちゃ」のことであるとわかりました。パーティで贈り物に使うのだそうです。いずれにせよあまり引き受けたくない仕事でした。
時には親切心から私を困らせることもありました。何の機会だったか忘れましたが夫人が大きな白身魚を買ってきて夕食時に私のために炒めて出してくれたのです。日本人は肉より魚が好きであると決めてかかっていたのです。私は魚が好きではありませんでした。しかも味が無い大柄の白身魚など食べられたものではありません。しかし、親切心から夫人がわざわざ作ってくれた料理を食べないわけには行きません。私にとっては苦痛の魚料理でした。
46.ジョン・F・ケネディー大統領暗殺される
その日私は大学の図書館で物理レポートの作成に取り組んでいました。正午一寸前だったと思います。突然、図書室中央の大きなドアが開きました。館長が姿を現し「今しがたケネディ大統領がダラスで銃弾に倒れ現在昏睡状態にあります」と告げたのです。館長の目は真っ赤で涙が溢れていました。当時ラジオでは頻繁にケネディーとジャックリーヌの物まねコミックが流されていてケネディ家族は皆に大変親しまれていました。キューバ危機を乗り越えた若き大統領に期待が集まっていた最中のこの事件がアメリカ国民だけでなく全世界に与えたショックは計り知れないものがあります。
ワシントン大学の午後の授業はすべて中止となり建物には半旗が掲げられました。私も直ちにリチャードソン邸に戻りテレビにかじりついて事件の成り行きを追いました。間もなくケネディ大統領の死亡が発表され、その夜遅くリー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディ暗殺容疑で逮捕されました。ところがこのオズワルドは、事件の2日後の11月24日の午前中にダラス市警察本部から郡拘置所に移送される際に、ダラス市警察本部の地下通路で、ダラス市内のナイトクラブ経営者でマフィアと(そして、ダラス市警察の幹部の多くとも)関係が深いルビーに射殺されたのです。この時の模様はアメリカ中にテレビで生中継されており、数百万人のアメリカ人が生中継でこの瞬間を見ることになったのです。私もこの瞬間をテレビで見ていた一人です。
ルビーがオズワルドを射殺した理由は「夫が暗殺され悲しんでいるジャクリーン夫人とその子供のため」、「悲しみに暮れるケネディの妻・ジャクリーヌが法廷に立つ事を防ぐ為」という不可解な理由でしたが、ケネディ大統領暗殺事件を検証するためジョンソン第36代アメリカ合衆国大統領により設置された調査委員会であるウォーレン委員会はおろかマスコミでさえその不可解さを取り上げることはありませんでした。しかも、この事件とも何の関係もない、かつ警察関係者でもマスコミ関係者でもないルビーがなぜやすやすと警察署内に入り込めたのかという理由について、ウォーレン委員会はダラス市警察本部の事前警戒の不備を厳しく批判してはいるものの、その理由については最終的に満足な説明は何一つ為されなかったのです。
また、事件後には、ルビーがオズワルドと複数の人物を介して知人の関係であった上、なぜか暗殺事件発生直後からオズワルドの行動を随時追いかけていたことが複数の人物から証言されましたが、そのルビーはこの事件について多くを語らないまま4年後に癌により獄中で死亡しました。日本であれば警察が移送中の重要容疑者が殺されたりすればマスコミが警察に対する非難を大々的に取り上げ大変な騒ぎとなったと思います。
副大統領であったジョンソンがケネディ大統領の後を継ぐ第36代アメリカ合衆国大統領に就任しましたがその就任式でジョンソンが「この難関を乗り越えるために私は国民皆さんの協力と神のご加護が必要である」と述べたのを記憶しています。とにかくなぞの多い事件でした。
ワシントン大学の午後の授業はすべて中止となり建物には半旗が掲げられました。私も直ちにリチャードソン邸に戻りテレビにかじりついて事件の成り行きを追いました。間もなくケネディ大統領の死亡が発表され、その夜遅くリー・ハーヴェイ・オズワルドがケネディ暗殺容疑で逮捕されました。ところがこのオズワルドは、事件の2日後の11月24日の午前中にダラス市警察本部から郡拘置所に移送される際に、ダラス市警察本部の地下通路で、ダラス市内のナイトクラブ経営者でマフィアと(そして、ダラス市警察の幹部の多くとも)関係が深いルビーに射殺されたのです。この時の模様はアメリカ中にテレビで生中継されており、数百万人のアメリカ人が生中継でこの瞬間を見ることになったのです。私もこの瞬間をテレビで見ていた一人です。
ルビーがオズワルドを射殺した理由は「夫が暗殺され悲しんでいるジャクリーン夫人とその子供のため」、「悲しみに暮れるケネディの妻・ジャクリーヌが法廷に立つ事を防ぐ為」という不可解な理由でしたが、ケネディ大統領暗殺事件を検証するためジョンソン第36代アメリカ合衆国大統領により設置された調査委員会であるウォーレン委員会はおろかマスコミでさえその不可解さを取り上げることはありませんでした。しかも、この事件とも何の関係もない、かつ警察関係者でもマスコミ関係者でもないルビーがなぜやすやすと警察署内に入り込めたのかという理由について、ウォーレン委員会はダラス市警察本部の事前警戒の不備を厳しく批判してはいるものの、その理由については最終的に満足な説明は何一つ為されなかったのです。
また、事件後には、ルビーがオズワルドと複数の人物を介して知人の関係であった上、なぜか暗殺事件発生直後からオズワルドの行動を随時追いかけていたことが複数の人物から証言されましたが、そのルビーはこの事件について多くを語らないまま4年後に癌により獄中で死亡しました。日本であれば警察が移送中の重要容疑者が殺されたりすればマスコミが警察に対する非難を大々的に取り上げ大変な騒ぎとなったと思います。
副大統領であったジョンソンがケネディ大統領の後を継ぐ第36代アメリカ合衆国大統領に就任しましたがその就任式でジョンソンが「この難関を乗り越えるために私は国民皆さんの協力と神のご加護が必要である」と述べたのを記憶しています。とにかくなぞの多い事件でした。
2010年7月22日木曜日
45.ブロードムアープライベートゴルフ場
リチャードソン邸はブロードムアーゴルフ場の中にありました。このプライベートゴルフ場は歌手のアンディー・ウイリアムズや名喜劇俳優のボッブ・ホープなどもプレーしに来ていた名門コースです。リチャードソン邸の傍にあったスタートホールからはよくヒュルヒュルヒュルと唸りを立てて飛び出す打球が聞こえました。今では私もゴルフをやりますがプロのトーナメントを見に行って唸る打球を耳にすることはあっても仲間の打球が唸りをたてるのは聞いたことがありません。
ブロードムアーには結構上級ゴルファーが来ていたようです。このゴルフ場は木曜日が芝の休養日でクローズとなり従業員はプレーしてよいことになっていました。私も従業員でしたからプレーしてよかったのですが一年近くも勤めていてこの特権を一度も利用しませんでした。「ゴルフなど覚えて日本に帰ったらお金が掛かって大変よ」と言うガールフレンドの言葉を真に受けてゴルフをやらなかったのですが今考えると大変もったいないことをしたと思います。リチャードソン夫人は良く友達を招いてブリッジをしたり、ゴルフをしました。ゴルフをする時はキャディー役を仰せつかります。キャディーと言っても芝の目が読めるわけも無いし、ゴルフのルールも知らなかったので単にリチャードソン夫人とゲストのゴルフバッグを担いでお供するだけでした。今思うとカートがなく二人分を担いで回ったのですから大変な仕事でした。ワンラウンドお供すると6ドル貰えました。
このコースにはほかにも思い出があります。ある日の午後犬のトップスを散歩に連れ出しました。フェアウエーを横断しようとすると真新しいゴルフボールが落ちていました。周りを見回しても誰も見えません。犬の散歩中にはよくロストボールを拾っていましたのでこのボールも拾い上げてポケットに入れました。いつもと違うのはコース脇のブッシュの中ではなくフェアウエーのど真ん中であったことです。その時です。遥か遠くにゴルファーの姿が現れました。しまった、これはプレー中のボールだったのです。しかし完全に私の姿はゴルファーの視野に入っています。ボールを元の位置に戻しに戻ったら訴えられるかもしれません。ハウスボーイを解雇されるかもしれない。そう思うと怖くて戻れません。結局、ボールをポケットに入れたままコースを横断し林に身を隠したのです。豪快なショットを放ったゴルファーはフェアウエーの真ん中にある筈のボールが見つからなくて首をかしげたに違いありません。今でも思い出すたびに悪いことをしたなと思っています。
またある時トップスを連れてゴルフ場のコースを散歩して家に戻ってくるとポケットに入れていたはずの家のキーが無いのです。何処かで落として来たに違いありません。リチャードソン夫人に告げると大事なキーなので探して来るようにと言われました。かなり広範囲に歩いて来たので探すのは大変です。それに芝もかなり深くなっていました。途方にくれました。どこを歩いてきたか考えているとふとあることを思い出しました。途中で犬を引っ張っていたリーシュが外れてトップスが駆け出し慌ててトップスをタックルするため跳びかかった場所があったのです。あそこに違いありません。大体覚えていたその場所に戻り芝の中を見回すと金色に光るキーが見つかりました。ほっとしました。
ブロードムアーには結構上級ゴルファーが来ていたようです。このゴルフ場は木曜日が芝の休養日でクローズとなり従業員はプレーしてよいことになっていました。私も従業員でしたからプレーしてよかったのですが一年近くも勤めていてこの特権を一度も利用しませんでした。「ゴルフなど覚えて日本に帰ったらお金が掛かって大変よ」と言うガールフレンドの言葉を真に受けてゴルフをやらなかったのですが今考えると大変もったいないことをしたと思います。リチャードソン夫人は良く友達を招いてブリッジをしたり、ゴルフをしました。ゴルフをする時はキャディー役を仰せつかります。キャディーと言っても芝の目が読めるわけも無いし、ゴルフのルールも知らなかったので単にリチャードソン夫人とゲストのゴルフバッグを担いでお供するだけでした。今思うとカートがなく二人分を担いで回ったのですから大変な仕事でした。ワンラウンドお供すると6ドル貰えました。
このコースにはほかにも思い出があります。ある日の午後犬のトップスを散歩に連れ出しました。フェアウエーを横断しようとすると真新しいゴルフボールが落ちていました。周りを見回しても誰も見えません。犬の散歩中にはよくロストボールを拾っていましたのでこのボールも拾い上げてポケットに入れました。いつもと違うのはコース脇のブッシュの中ではなくフェアウエーのど真ん中であったことです。その時です。遥か遠くにゴルファーの姿が現れました。しまった、これはプレー中のボールだったのです。しかし完全に私の姿はゴルファーの視野に入っています。ボールを元の位置に戻しに戻ったら訴えられるかもしれません。ハウスボーイを解雇されるかもしれない。そう思うと怖くて戻れません。結局、ボールをポケットに入れたままコースを横断し林に身を隠したのです。豪快なショットを放ったゴルファーはフェアウエーの真ん中にある筈のボールが見つからなくて首をかしげたに違いありません。今でも思い出すたびに悪いことをしたなと思っています。
またある時トップスを連れてゴルフ場のコースを散歩して家に戻ってくるとポケットに入れていたはずの家のキーが無いのです。何処かで落として来たに違いありません。リチャードソン夫人に告げると大事なキーなので探して来るようにと言われました。かなり広範囲に歩いて来たので探すのは大変です。それに芝もかなり深くなっていました。途方にくれました。どこを歩いてきたか考えているとふとあることを思い出しました。途中で犬を引っ張っていたリーシュが外れてトップスが駆け出し慌ててトップスをタックルするため跳びかかった場所があったのです。あそこに違いありません。大体覚えていたその場所に戻り芝の中を見回すと金色に光るキーが見つかりました。ほっとしました。
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