2010年7月27日火曜日

49.リチャードソン邸を辞してプライス家に移る

秋学期が始まって間もない頃、やはりハウスボーイをしていた大先輩のMさんから「僕のやっているハウスボーイを引き継いでくれないか」と打診されました。Mさんは結婚することになったのでハウスボーイを続けるわけには行かなくなり誰か後釜を探していると言うのでした。良く話しを聞くと悪い話ではありません。給金は月30ドルでリチャードソン邸の50ドルより少ないのですが仕事の量が俄然少ないのです。一週間に一度一台の乗用車を洗うのと土曜日に玄関前の前庭の落ち葉掃除、そして夕食時の食卓のセティング(ドイリーをひき、ナイフ、フォーク、スプーンを並べるだけ)そして来客がある時だけ白い給仕服を着て蝶ネクタイをつけ給仕をするというものでした。

「Roll over!」と言うとくるっと短足胴長の体を横に一回転させる可愛いダックスフントが飼われていましたが、犬の世話はしなくて良いことになっていました。どう計算しても一週間に仕事に取られる時間は3時間ほどしかありません。こんなうまい話はありません。奨学金のおかげで学費は掛からないし、バイトのおかげでお金も少々貯められる状態になっていましたから私がほしかったのは自分の自由になる時間でした。リチャードソン邸では好きなビールも一ヶ月に350mlの缶ビール一個しか許されていませんでしたから大分ストレスも溜まっていました。

リチャードソン夫人に話すと「後釜が見つかるまで居てくれるならいいわ」と言ってくれました。運良く留学生支援事務所の世話でハウスボーイを希望していると言うタイからの留学生が直ぐに見つかりました。話はとんとん拍子に進み間もなくして私は思い出深いリチャードソン家からプライス家へと居を移したのです。

商業銀行の創始者だったご主人を無くなした未亡人のミセス・プライスが新しい家の主人でした。プライス夫人は背筋のぴんとした英国の貴族を思わせるような気品のある女性でした。家は二階建てで横長であり中央の玄関は前庭を隔てて「Broadway」という公道に面していました。裏に回ると斜面で土地が低くなっており地下室が一階の様になっていました。私が与えられたのはこの地下室(裏に回れば一階)でしたが表の正規の玄関を使わずに済んだので自由に出入り出来、ハウスボーイをしているような感じはしませんでした。門限も無かったので友達と夜遅くまで飲みに出ることも自由になりました。

0 件のコメント: