プライス家には夫人の90過ぎの母君が同居していました。又、この母君の世話をする可なり歳のいった介護師の女性とノルウェイから来ていた賄い担当のクリスティーおばさんが一緒に住んでいました。クリスティーは太っていて動作が鈍く話し方も小声でもぞもぞ話すので言っていることが良く理解できませんでしたが人柄は良く、時々私にカレーを作ってくれました。一階の正面玄関を入るとアメリカ映画でよく見るような立派な階段が二階へと続いていました。その手すりにはレールがついていてレールのうえの椅子にプライス夫人の母君が座るとスルスルスルと電気仕掛けで二階まで登って行くのには驚きました。自動車のガレージもプライス夫人の帰ってくる自動車が見えないうちからシャッターがひとりでに開いていくのに驚いたものです。でもプライス家で受けた本当のショックはこんなものではありませんでした。
プライス家に入った日、私は食堂でミセス・プライスによって他の従業員達に紹介されました。その席上でのことでした。私の面前で夫人は食堂の数ある食器棚の一つ一つに鍵をかけていったのです。それぞれの棚には高価な食器類がおさめられていたのです。私の受けたショックは大変なものでした。その行為が私に対する親切心からであると言うことが解るには可なりの時間が必要でした。しばらくして、知り合いの老婦人に教会に連れていかれたときです。教会近くに車を止め車のドアを閉めた時です。同伴していたその老婦人が私に向かって「外から見えるところに手荷物を置いてはいけません。それはsinです。(crimeではありません)」と言って私を咎めたのです。要するに他人に盗みを唆すような環境を作ることは罪であると言うことなのです。完全に性悪説に基づく理論です。盗みを思い起こさせないようにするのが親切心なのです。プライス夫人のとった行為もやっと納得できました。後にフランスで止めておいた車から大事な荷物を盗まれた時、警察で見えるところに置いとけば盗まれるのがあたりまえだと言われ、どちらかと言えば性善説にたつ日本との違いを思い知らされたことがあります。
ついでに私がアメリカで受けた他のショックの話もいたしましょう。それは人の行為に直ぐ金を払おうとすることでした。最初の下宿に居た時でした。宿のオーナーのジェイコブスンおばあさんに壁の額縁を留めていた釘が取れたので新しい釘を打ってくれと頼まれました。釘と金槌を手渡されたので直ぐ新しい釘を壁に打ち付けました。1分も掛かっていません。するとジェイコブスンさんは私にさっと二ドルを手渡したのです。親切心でやった行為にお金を渡されたら侮辱された気持ちになります。勤労奉仕が美徳と教わって育った私は特にそう感じたのかもしれませんが、私は非常に情けない気分になったのです。只、半年ぐらいたった冬のある日、水道管が破裂して困っている家の前を通りかかり、車を止めて手持ちの材料で緊急処置をしてあげたとき差し出された5ドルは素直に受け取れる自分になっていたのでした。
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