2010年9月7日火曜日

58.夜汽車の美少女

それはパサディナのローズボール観戦を終えロスからシアトルへ戻る車中でのことでした。列車に乗り込み周りを見ると窓際に可愛い少女が一人座っているが目に入りました。横の席に座っていいか尋ねるとその少女は愛くるしい笑顔で頷きました。年の頃十二・三歳です。薄いピンクのカーディガンにグレーのスカートをはいていました。アグネスチャンに似ていて色白ですが頬はほんのりとピンクかかっています。お化粧はしていません。夜汽車だったので少女の顔が窓に映って輝いて見えました。

列車がロスを発って暫くすると少女は雑誌のようなものを取り出して盛んに鉛筆を走らせ始めました。そっと覗き込むと四角い升目にいろいろな英単語を埋めているのです。ボナンザグラムです。暫く見ていると気が付いたらしく「やってみる?」と話しかけてきました。どうせ少女がやっているのだから大して難しくあるまいと思って見せてもらうと驚くことに20単語ぐらい書かれているうち知っている単語は2・3しかありません。一瞬、英語ではないのではと疑いました。

私は英語のボキャブラリーが留学前に数千語にはなっていた筈です。私はそれまで一頁にこれほど多くの判らない英単語を目にした事はありませんでした。彼女に「これみんな判るの?」と尋ねると当然のように頷きました。少女の年ぐらいで何万語ぐらい知っているのだろうと思うと急に惨めな気持ちになってきました。私の英語に対する自信は粉々に崩れたのです。「全然歯が立たない」と言うと彼女は本をしまって話し始めました。

ロスで結婚した姉の家に遊びに行った帰りだということ、そして正月にロスで姉にとても素晴らしくスリリングな映画を見せてもらったと言うこと。映画のすごかったシーンをいろいろと説明してくれます。どうやらケーリー・グランとオードリー・ヘップバーン主演の「シャレード」のようです。しばらく喋り続けると疲れたのか少女は頭を窓ガラスにもたれかけたまま居眠りを始めました。とても可愛い寝顔でした。

ロスからシアトルまでは直行の列車が無く一旦シスコでシアトルまで行く列車にのり変えなければなりません。汽車がサンフランシスコに着くと少女はさっさと降りて行きました。挨拶もしないで行ってしまうなんて寂しいなと思いながら私はシアトル行きの列車に乗り換えました。するとどうでしょうあの少女が窓際の席に座っていて隣の席を私のために取っておいてくれていたのです。

サンフランシスコからシアトルまでの汽車旅は少女と話が出来たおかげで退屈しないですんだのですが汽車がシアトルに近づくにしたがって少女の口数が少なくなっていきました。最初は眠くなったのかなと思っていたのですがどうも様子が変です。顔から笑みが消え緊張した面持ちに変わってきたのです。汽車がシアトル駅に到着すると今度こそ本当に人を無視するように挨拶も無く列車から飛び出して行きました。私がホームに降り立つと少女は迎えに来ていた父親の胸に抱きつきハグをしているところでしたが傍らを通り過ぎた私を見ても「こんな東洋人となどお話などしていなかったわ」と言った態度で無視したのです。家庭で外では見知らぬ人とはお口を聞いてはいけませんとでも教育されていたのでしょうか。私はシアトルに着いてからあまり東洋人としての差別を感じたことはありませんでしたがこの少女の変貌振りにはショックを受けました。私は愛くるしい笑顔で私と話をしてくれた少女の思い出だけを大事に心にしまうことにしました。

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