2010年12月22日水曜日

74.3年目の生活

留学3年目ともなると日本人留学生の中でも古株となり日本人留学生会のプレジデントを任される羽目となりました。柄でもないので辞退したかったのですが先輩、後輩との繋がりがあるということで引き受けざるを得なくなったのです。ハウスボーイをしていたミセス・プライスの地下室で皆を集めてダンスパーティーを催したり、いろいろと日本人留学生たちの親睦を図るイベントを企画しました。

一方、学業の方は物理科の卒業に必要な必須科目を一つ残していただけですから比較的時間に余裕が出来ました。友人から紹介されたフランス人の家にフランス語の会話を習いに行ったのも時間が出来たからでした。又、交友関係も輪を広げ留学生だけでなく日本芸能文化交流のためワシントン大学に講師としてみえていたく方々やシアトルの英語学校に語学研修に来ていた方達とも親しくお付き合いをさせてもらいました。旅行をしたり、山にハイキングに行ったり、お宅にお邪魔して日本食をご馳走になったり、ゲームをしたり、正に青春を謳歌した時代でした。

3年目も半分を過ぎた頃ミセス・プライス邸のハウスボーイを辞め、再び下宿生活に入る事になりました。中国人の友人が安くていい下宿があるぞと教えてくれたのです。それは私がシアトルに着いて最初に入ったジェイコブスンおばあさんの下宿の直ぐ傍にあって地下室でしたがシャワー付きで明り取りの小窓も付いている小奇麗な部屋でした。驚いたことに家賃が月たったの15ドルです。ジェイコブスンの下宿が平均的な家賃月45ドルでしたからこれにはびっくりしました。流石に中国人仲間の情報網は凄いと思いました。即決でした。その下宿には沖縄から来ていたN氏も入っていて二人でよくひき肉を買ってきては特大のジューシーなハンバーグを作って食べたものです。

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