2010年12月22日水曜日

79.アメリカを後にしてフランスへ

大学院での理論物理専攻の夢が断たれた後も暫くはワシントン大学の大学院で数値解析(numerical analysis)を勉強していたのですが、ある日突然ワシントン大学でMBAを取った女性に「日本に帰って就職するなら数学で修士号をとっても意味無いわよ」と言われたことを思い出しました。理論物理を専攻出来ないのなら自分は今何のために数学を勉強しているのか? そう考えると馬鹿らしくなってきました。こうなったら好きな語学を学びに早いことヨーロッパに行った方がいいと気が付いたのです。

後三ヶ月で数学の修士号が取れるところまで来ていましたが未練はありません。直ちにフランスに向かう準備を始めました。シアトルの旅行会社でニューヨークからフランスのル・アーブルまでの船旅を予約しました。船は当時世界一の豪華船と言われていたフランス号です。以前はクイーン・エリザベス号が世界一といわれていましたがそれに勝るとも劣らぬ豪華船と聞いていたので是非乗ってみたかったのです。因みに私は飛行機が大嫌いで空旅はどうしても避けたかったのです。

9月10日スーと大勢の友達に見送られて3年前にシアトルに着いたのと同じ場所であるダウンタウンのグレイハウンド・バスターミナルからニューヨーク行きのバスに乗り込みました。3年間のさまざまな思い出を胸に見送りの人たちに手を振りました。

3日間バスに揺られニューヨークに付いた時には流石に臀部がはれぼったくなっていました。出航まで未だ3日間あったのでメジャーリーグの野球観戦に行ったり友人宅にお邪魔したり、映画を見たり、床屋で散髪したりしました。ニューヨークの物価の安さに驚きました。

タイムズスクエアー近くで別々のホテルに3泊したのですが最初のホテルが3ドル、二日目は4ドル、三日目は奮発して6ドルのホテルに泊まりました。みな安宿には違いありませんでしたがフロントもあり、ベッドのシーツも清潔で浴室も配管等がさびで汚れてはいましたがお湯がちゃんと出たので不自由はありませんでした。貧乏学生のアメリカ最後の宿には相応しいものでした。 

最後の夜、当時は珍しかった日本の寿司屋を見つけたので、ですしを握ってもらい日本のビールを注文して一人で盛り上がりました。続きのお話しは「グッジーの青春放浪記フランス編」で。

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