留学生活最初の10日間ほど世話になることになったデイビッドソン夫妻の家は現在マイクロソフトのビル・ゲーツ氏の豪邸が建っている場所からほど遠くないワシントン湖の畔にありました。平屋でしたが家の半分ほどは盛り上がった土地に沿って高くなっていて中二階のようになっていました。家に到着するとその中二階にある一室に案内され「ここがあなたの部屋よ」と言われました。部屋は小奇麗に整頓されていて洋服ダンスの引き出しはすべて空になっていました。明るい部屋で何か一番よい部屋を空けておいてくれたようで感激です。デイビッドソン夫妻には子供がいませんでしたが、もしかすると子供のために作ってあった部屋なのかもしれません。次にバスルームに案内されました。新しい洗面道具一式が私のために用意されていました。今では日本でも一般的になっているバスルームとトイレットが一緒になっています。当時日本では未だ一般家庭では水洗トイレなど普及していなかった時代ですから便所は不浄なところという感じがあり、それが体を洗うきれいな浴室と一緒になっているのは違和感があり慣れるまで落ち着きませんでした。
一通り家の中の案内が終わると庭の案内です。よく手入れの行き届いた芝生と草花。芝生のマウンドの向こうにワシントン湖が見えます。庭の真ん中に背の高い西洋杉が二本立っていて見上げると上の方が風を受けて緩やかに揺れています。木の下には木製のデッキチェアーが二つ置いてあります。それぞれのチェアーの右ひじの部分には飲み物を立てる穴が刻まれています。アン(デイビッド夫人は自分のことをそう呼んでほしいと言いました)が用意してくれたジントニックのグラスをそこに挿してチェアーに座りアンと暫く歓談です。ジントニックを進められるままに2~3杯飲むうちにほろ酔い気分になり頬に当たるそよ風も心地よく感じられます。ワシントン湖を眺めながら夢心地になり「ああ、これがアメリカなんだ」と感じたものです。
夕方ご主人のハリー・デイビッドソンが仕事から戻ってきました。ご夫妻ともファーストネームで呼ぶように言われました.年上の人を敬称もつけないで呼ぶのはその習慣のない日本人にとってはなかなか抵抗がありましたが郷に入ったら郷に従えで初日からアン、ハリーと呼ぶよう努めたのでした。ハリーは何時もにこにこしてアンを見守っている優しい男性でした。彼はボーイング社に勤めていました。シアトルのボーイング社は巨大な航空機製造会社ですから何らかの形でボーイング社とつながりのある方が非常に多いのです。
夜になるといよいよ食卓の準備です。アンが「これとこれをテーブルに並べて」とドイリー、ホーク、ナイフ等々を私に渡しました。最初から家族の一員のように扱ってくれたのです。アンが腕を振るって用意してくれた夕食はとても美味しかったのですが出てきたデザートのアップルパイの大きさにはびっくりです。日本なら3~4人分はあります。そしてアイスクリーム。皿の上にボンと山盛りではありませんか。せっかく用意してくれたものをよう残せずに時間をかけて全部平らげた頃にはお腹がはちきれそうになっていました。こんな風にアメリカでの第一夜は過ぎていったのです。
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