多くの日本人留学生はお金持ちの子息の私費留学か又はスカラーシップ等何らかの留学資金を確保して来ていました。私の場合は親から何とか一学期分の学費は出してもらっていたのでしたがその先は何とかアルバイトで学費と生活費を捻出しなければなりません。と言っても米国移民局の許可なしには仕事をしてはならないとの条項があったので大っぴらには仕事に就けません。生活に慣れるまでは何とか学費以外の生活費を削らなければならないのでした。
先ずは食費です。スーパーマーケットに行くと前日の売れ残りパンを安く売っています。多少硬くはなっていても食べられます。大学への弁当はマーガリンバターにハムを一枚はさんだサンドイッチに棒切りにしたセロリとにんじんです。近所の韓国レストランで買ってきたお米を炊き、茄子とかビーマンに安いひき肉などを炒めて食べたりしました。炊飯器などはありませんでしたのでお米をといだ後、指で水加減を計り鍋で炊いたものです。安い食材での自炊を続けたおかげで好き嫌いの多かった私も何でも食べられるようになったのでした。お茶の葉も一週間も取り替えず色が出なくなるまで使いましたし、信じられないでしょうが髭剃りの安全かみそりの刃も取り替えずに一枚で3年間も使っていたのです。牛乳は飲んでいましたがコーヒーなどは元々飲まなくても平気な方だったので自分の下宿では飲んだ記憶がありません。こんな耐乏生活を続けたおかげで粗食に慣れてしまい高い金を払ってまで美味いものを食べに行きたいとは思わなくなったのです。しかしアメリカで暮らすにはどうしても車が必要でしたのでぼろ車を買うことにしました。1957年製のフォードでした。
2 件のコメント:
ドイツ技術を伝承した電機メーカーに入社したのが1961年、自社製品にハヤトという商品名の安全剃刀刃研器がありました。貴兄は刃を研いだのでしょうか。
信じられないかもしれませんが一度も研ぎませんでした。確かにだんだん切れが悪くはなっていましたよ。
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