10月も半ばを過ぎたある朝、下宿を出て物理の教室に向かっていました。下宿からキャンパスまでは歩いて5-6分です。大学の構内に入るとなんとなくいつもとは違う雰囲気です。すれ違う学生達が皆早足で歩いています。パナマから来ていた同期の女子学生は目に涙を浮かべて通り過ぎて行きます。いつもならニコッと笑顔を返してくれる子でした。教室に着いてやっと事態が飲み込めました。米国民を戦慄させる大問題が起こっていたのです。世に言う「キューバ危機」です。
1962年10月22日にケネディ大統領は、ソ連がキューバにミサイル基地を建設中であることを公表、ソ連に同基地の撤去を要求、ミサイル搬入を阻止するため海上封鎖を実行するとの声明を出したのです。 ソ連はこれを拒否しミサイルを積んだ船はキューバに向かいつつあり、米ソの正面衝突の危機が高まったのです。
時はまさに米ソ冷戦状態の真っ只中で「全面核戦争」の可能性をアメリカ中のマスコミが報じたことでアメリカ国民の多くがスーパーマーケットなどで水や食料などを買い占める事態が起きたのです。この緊張は10月28日にソ連のフルシチョフ書記長がミサイル撤去を約束するまで続きました。
下宿の部屋にはテレビなどなく私の情報源と言えば日本から持っていったポータブルラジオが頼りでした。夜、勉強しながら聞いていたのは音楽番組が中心で、この重大ニュースを聞き逃していたのでした。 終わってみれば一週間ほどの短期間の出来事でしたがあの張り詰めた空気は忘れることが出来ません。
2 件のコメント:
下山さん キューバ危機の時に既に留学していたのですね。革命が起きた時、米国資本の農場は接収されるだろうと思いました。処がMikeからの手紙にはgood newsと興奮気味に書いてありました。革命成功当時の米国には肯定する世論があったのでしょうか。
西島さん、キューバ危機が表面化するまで私はキューバ情勢についてあまり関心を持ってみていませんでした。残念ながら私には貴兄の質問に正確なお答えを出すことが出来ません。ごめんなさい。
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